【青年海外協力隊時の堤氏(NHKより引用)】
今年も阪神甲子園球場で夏の高校野球が激闘を繰り広げました。
2度目の甲子園で初勝利し、ベスト8入りを達成したおかやま山陽高校。チームが全国の高校野球ファンから注目を集めると同時に、監督・堤直彦氏の持つ異例の経歴も話題を呼びました。
堤氏は、海外青年協力隊としてジンバブエ共和国(以下、ジンバブエ)で野球の普及に努め、後に日本で高校野球の監督をしながら、東京五輪本選の出場をかけたアフリカ予選でジンバブエ代表チームの監督を担ったのです。
アフリカの野球と日本の甲子園。
一見関係のない二つを結び付け、今もなお両者の最前線で指揮を執る堤氏の軌跡をご紹介したいと思います。
【甲子園出場時のおかやま山陽高校野球部(おかやま山陽高校HPより引用)】
アフリカ南部の内陸国:ジンバブエについて
ジンバブエはアフリカ南部に位置する内陸国です。
面積は日本とほぼ同じ38.6万K㎡ですが、人口は約1,653万人と日本の十分の一程度です。
推定埋蔵量世界第2位のプラチナに加え、フェロクロム、アスベスト、ニッケル、鉄鉱石、石炭など多様な鉱物資源が産出されます。また、日本で生産される多くの土鍋の生産過程において、ジンバブエ産のペタライト鉱石が使用されています(ペタライトは別名「天使の石」とも呼ばれるそうです)。
ジンバブエは、かつては白人の農家によって大規模で生産性の高い農業が行われ、「アフリカの穀物庫」と呼ばれるほどの農業国でした。
しかし、1992年、白人の農地を黒人農民に分配する法律ができると、ノウハウを持つ白人の農家がいなくなり、農業生産が一気に落ち込みます。
経済の混乱期を経て
大統領によるコンゴ内戦への干渉、強権的な政治手法に対する欧米諸国による経済制裁、干ばつや食料危機などの複合的要因で、経済は大混乱に陥りました。世界最悪といわれるハイパーインフレで、なんと100兆ジンバブエ・ドル紙幣が発行されます。
その後インフレは落ち着き、2020年7月のインフレ率が838%だったのに対し、2021年12月には60.7%にまで減速しました。
しかし、ジンバブエにはインフレ経済、外貨不足、ビジネス環境が発展途上、など依然課題も多く、日本企業がビジネスをする上では多くのハードルがあるとされています。
一方観光地としては、ジンバブエとザンビアの国境に位置するビクトリアの滝は、北米のナイアガラの滝、南米のイグアスの滝と並び世界三大瀑布の一つとされています。ビクトリアの滝はジンバブエの最も重要な外貨獲得源となっており、日本人も年間約3万人が訪れています。
【ビクトリアの滝(HISより引用)】
青年海外協力隊員としてアフリカ・ジンバブエへ
さて、そんなジンバブエと甲子園とがどのようにつながったのでしょうか?
1993年大学3年生の夏、選手として爪痕を残すことが出来ず、野球を諦めかけていた堤氏。
ブラウン管テレビに映されたメッセージが彼の人生を大きく変えます。
「道具がない。グラウンドがない。お金がない。そんなことは問題じゃない。最大の問題は、自分の後、野球を教えに来てくれる日本人がいなくなることなんだ。」
そう訴えていたのは青年海外協力隊の初代野球隊員として、ジンバブエの子どもたちへの野球普及に尽力した村井洋介氏。存在価値がないと感じていた自分に使命が与えられたと考えた堤氏は、ジンバブエに渡航することを決意します。
1995年、青年海外協力隊としてジンバブエ第2の都市ブラワヨに派遣され、小学校やセカンダリースクールに赴き子どもたちに野球に触れてもらう活動が始まりました。
【青年海外協力隊時の堤氏(NHKより引用)】
言語や文化の壁にぶつかりながらも、ジンバブエに野球を広めるため、2年間走り続けます。
成果はあったものの、ボランティアで普及することの限界を感じた堤氏は、「ここへ帰ってきて、絶対野球を根付かせる」とジンバブエ再訪を誓って、日本に帰国します。
中古野球道具を途上国に送る
帰国後はスポーツマネジメントを行う民間企業に就職、その後おかやま山陽高校の理事長からのオファーを機に、2006年、高校野球の指導者へと転身します。
野球部の監督として、堤氏が目指してきたのは甲子園の勝利だけではありません。
野球の世界普及も大切な目標の一つとなっています。
その取り組みの一環として、JICA「世界の笑顔のために」プログラムを通じて、おかやま山陽高校の部員やOB、他校の部員や少年野球の子どもたちが活用した中古野球道具の海外への発送を開始しました。
この活動は現在も続いており、送付先は、ジンバブエに加え、ガーナやカメルーン、ケニアやウガンダなど多岐に渡ります。
【2023年7月、中古の野球道具270点を計6カ国に送付(おかやま山陽高校HPより引用)】
また、野球部OBの中にはその後青年海外協力隊として、発展途上国で野球の普及に尽力している方もいます。堤監督率いるおかやま山陽高校の野球は、今後も海を越え、世界に広がっていくでしょう。
【活動の様子】
●梅雨明けかな? 中古道具発送! | 硬式野球 |【 体育系 】部活動 | おかやま山陽高校 (okayama-sanyo-hs.ed.jp)
●2022年度 JICA世界の笑顔のために | 硬式野球 |【 体育系 】部活動 | おかやま山陽高校 (okayama-sanyo-hs.ed.jp)
ジンバブエ代表監督就任
おかやま山陽高校野球部の監督として甲子園出場を目指していた2015年。
「2019年から始まる東京五輪の予選で、ジンバブエの代表監督としてベンチに入ってほしい。」
青年海外協力隊員としてジンバブエで野球の普及活動に従事していた際、ボランティアでアシスタントを務めていたモーリス・バンダ氏から突然の代表監督の要請を受けます。
20年来の友人であるモーリス氏直々の熱いオファーであったこと、おかやま山陽高校の野球部員や生徒に夢に向かっている姿を見せたかったこと等を理由に、過去に前例がないであろう高校野球と五輪代表監督の二足の草鞋を履く決意を固めました。そうして、2018年、堤氏は21年ぶりにジンバブエの地へと飛び立ちます。
現地へ着くと、隊員時に野球を教えた生徒に選手として再会したり、以前は隊員がやっていた設営や審判を、ジンバブエ人が自ら行っている様子を見たり、自分たちがやってきた野球普及は無駄ではなかったと実感することが出来たそうです。
代表選考、合宿を経て、2019年、いよいよ東京五輪出場へ向けたアフリカ予選がスタート。
もともとブルキナファソ、ナイジェリア、ウガンダ、ケニア、南アフリカの6カ国が参加予定だったものの、ケニアとナイジェリアが資金不足などを理由に直前で不参加となります。
ジンバブエの最終成績は2勝3敗で4チーム中3位。
本選出場とはなりませんでしたが、戦いの中での選手たちの真剣な表情は、ジンバブエの野球の明るい未来を彷彿させました。
【ジンバブエの選手たち、右奥が堤氏(朝日新聞GLOBEより引用)】
そして帰国後、2023年、堤氏率いるおかやま山陽高校の野球部は6年ぶり2度目の甲子園出場を果たしました。少しでも長く甲子園でプレーすることが世界に野球を広げることに繋がると、「甲子園で3勝」の目標を掲げて戦い、見事1回戦から3試合を勝ち上がって準々決勝に進出しました。
このおかやま山陽高校野球部の活躍は海外でも注目され、かつて堤氏が指導した10か国以上の現地の教え子たちから祝福のメッセージが届いたそうです。
同時に、ジンバブエに野球場を作るという堤氏の大きな夢も動き出しています。
おかやま山陽高校野球部は、様々な活動を通じて「野球を世界に広める」という目標に向かって歩み続けるのでしょう。
JICAもスポーツと開発の分野に古くから注目しており、性別や社会的な立場などの制約を受けず、みんなが等しくスポーツを楽しめる平和な社会を実現することを掲げています。
実は隊員活動を通じた日本とジンバブエとの交流の歴史は古く、堤監督のように、スポーツを通じた教育や交流は、目に見えるところ、見えないところで継続的な関係性を構築していると考えられます。
スポーツには、言語や文化の壁を越え、チームを、観客を、人々を一つにする不思議な力があると思います。
野球に限らず、みなさんの馴染みのあるスポーツも、実は意外なところでジンバブエやアフリカ諸国とのつながりがあるかもしれません。
【参考文献】
アフリカ各国トピックスージンバブエー000480553.pdf (mofa.go.jp)
ポストコロナのジンバブエ市場の可能性と展望 | 地域・分析レポート – 海外ビジネス情報 – ジェトロ (jetro.go.jp)
スポーツと開発 | 事業について – JICA
「ジンバブエってどんな国?」2分で学ぶ国際社会 | 読むだけで世界地図が頭に入る本 | ダイヤモンド・オンライン (diamond.jp)
甲子園 おかやま山陽の監督は元ジンバブエ代表監督 世界に野球を | NHK | 夏の全国高校野球
代表チーム率いる甲子園出場校の監督も 東京五輪の野球アフリカ予選:朝日新聞GLOBE+ (asahi.com)
HIS 絶景「ビクトリアフォールズ ザンビア・ジンバブエ」 (his-j.com)
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