「スワヒリ」という言葉をご存じでしょうか。東アフリカの沿岸地域や、そこに住む人々、言語、文化などを複合的に指す語です。例えば、某有名ミュージカルの「ハクナ・マタタ!」というフレーズは、実はスワヒリ語由来です。こちらは日本でも聞きなじみがあるかもしれません。
しかし、「スワヒリ」に明確な定義を与えることは、実は大変困難であるようです。「スワヒリ」が何を指すのかには、時代や地域によって、大きな差があるためです。東アフリカ沿岸部一帯に住む人々を指すこともあれば、アラブ系とアフリカ系との混血の人々を指すこともあるようです。場面ごとで様々な意味を示すため、非常に広義な単語といえます。
ですから、「スワヒリ」を定義するのは、不可能に近いともいわれます。
そこでこの記事では、「スワヒリ」と呼ばれる中でも地域・文化・言語・アイデンティティに焦点を当てて、ごく簡単にご紹介します。あくまでも大まかなご説明になりますので、その点だけご留意ください。
【写真1:スワヒリ文化の中心・ザンジバル諸島の海辺】
「スワヒリ」という地域の概要
「スワヒリ」とは、元はアラビア語の「サーヘル」から派生した言葉で、「沿岸」という意味でした。東アフリカの沿岸地域で、古くから交易を営んだアラブ系の人々たちが、この地域を「スワヒリ」と呼び始めたようです。
「スワヒリ」と呼ばれる地域は、現在の国名でいえば、ソマリア・ケニア・タンザニア・モザンビークの沿岸部と、その周囲に浮かぶ無数の島々です。
そして、これらの地域では「スワヒリ語」が生まれ、民族や国家を越えた共通語になっていきます。ちなみに、スワヒリ語だけでいえば、大陸沿岸部だけではなく、ケニア、ウガンダ、ルワンダといった東アフリカ内陸部や、コンゴ民主共和国の東部にも広がっています。
なお、この時代のイスラーム文化圏との交易や文化の交流などについては、こちらの記事で紹介しています。
ザンジバルと古都・ストーンタウンの歴史~スパイス産業と奴隷貿易による光と影 (anza-africa.com)
【図:アフリカの地図:沿岸部のスワヒリ地域(緑の点線)、とタンザニア・ザンジバル諸島(青の実線)】
「スワヒリ」という文化の特徴
スワヒリ文化の特徴は、アフリカの要素と、イスラームの要素との混合にあるといわれます。古くからこの地域には、アラブ商人たちが数多くやってきました。彼らは、東アフリカの人々とを重ね、この地域に定住するようになります。
その結果、イスラーム文化が、東アフリカの人々にも受け入れられ、本家・イスラームとは異なった独自の文化が成立します。そうして誕生した文化が、「スワヒリ」だったのです。
勿論、イスラームの文化とは別に地域ごとの伝統的な儀礼(例えばザンジバルの先祖崇拝)も残りました。各地に広まったの文化や宗教は、在来の文化と混ざり合いながら、現在のかたちになったのです。
イスラームの文化・宗教は、特に沿岸地帯に影響を与えました。その一方、タンザニアの内陸部などでは、むしろキリスト教が信仰されています。これは、タンザニアをはじめとした内陸部では、ヨーロッパの影響も強かったことによります。
このように、ひとことに「スワヒリ」文化といっても、地域によって内実は大きく異なります。「スワヒリ」の内部にも、様々な文化が根付いているわけです。
「スワヒリ」という言語の特徴
この文化的な混合によって、新たな言語も登場しました。それがスワヒリ語です。
スワヒリ語は、文法的には、「バントゥー諸語」に属します。これはアフリカによくみられる言語体系の一つです。スワヒリ語のほかには、ショナ語やズールー語などがバントゥー諸語とされます。
しかし、スワヒリ語は多くの語彙をアラビア語から借用しているため、他のバントゥー諸語にはない特徴を持っています。現在はアルファベット表記になっていますが、もともとはアラビア語で表記されていました。
スワヒリ語は、インド洋交易の共通語として発達し、スワヒリ地域一帯で用いられるようになりました。19世紀になると、スワヒリ語はアフリカ内陸部にも広がっていき、コンゴの東側まで到達しました。
1961年には、タンザニアがスワヒリ語を国語とし、初等教育をスワヒリ語で行うことを決定しました。タンザニア以外には、ケニア、ウガンダ、ルワンダ、コンゴ民主共和国などで、公用語の一つになっています。
アイデンティティとしての「スワヒリ」
「誰がスワヒリ人なのか」ということは、簡単には決められません。「スワヒリ」が意味するものは、場合によって異なるからです。
人類学者の日野舜也は、いわゆるの基準を5つ挙げています。
①アラブとアフリカの混血であること
②スワヒリ都市に住んでいること
③イスラームの信仰を持つこと
④スワヒリ文化(生活様式や衣食住など)を持つこと
⑤スワヒリ語を話すこと
地域によって、①~⑤すべてが要求される場合もあれば(沿岸部)、①が不要な場合(内陸のイスラーム化した地域)、⑤だけで良い場合(内陸部でイスラーム化していない地域)もあったようです。言い換えれば、「スワヒリ」が持つ意味には、地域差があるのです。
彼の研究は1980年のもので、やや年代は古いですが、「スワヒリ」という概念が一枚岩ではない、ということを教えてくれるものでしょう。
他方、自分が属す民族集団など、「スワヒリ」以外にも様々なアイデンティティが混在していることも注意すべきでしょう。つまり、「スワヒリ」でもあり、「アラブ系」でもある、というケースもあるのです。
歴史的にみると、「スワヒリ」が持つ意味も一定ではありませんでした。解放奴隷の人々が、自分の出自を隠すためにスワヒリを名乗ったり、その結果スワヒリに奴隷のイメージがついたりしたこともあるようです。そのため、スワヒリというアイデンティティは、時代・社会の状況に応じて、様々に使い分けられてきた、と言えるでしょう。
まとめ
今回の記事では、スワヒリと呼ばれる地域や言語などを紹介しました。
「スワヒリ文化」や「スワヒリ人」は、実は一枚岩ではなく、時代や地域によって大きな差があります。大まかに見れば、東アフリカ沿岸部や、そこに住む人々のことを、ゆるやかに「スワヒリ」と呼ぶことができるでしょう。しかし、誰がスワヒリか、スワヒリとは何か、というのは、厳密には定義しきれないようです。
次回の記事では、「スワヒリ」という言葉が、どんな歴史をたどってきたかをご紹介します。
【参考文献】
沓掛沙弥香 2021 「マグフリ政権下のタンザニアのスワヒリ語振興政策―「虐げられた人々」の言語としてスワヒリ語を構築するディスコース―」 『アフリカレポート』59: 133‐146
髙村美也子 2023 「スワヒリ(Swahili)形成過程と現在のスワヒリ」『人類学研究所研究論集』12:127‐140
富永智津子 2001 『ザンジバルの笛』未来社
富永智津子 2008 『スワヒリ都市の盛衰』山川出版社
日野舜也 1980 「東アフリカにおけるスワヒリ認識の地域的構造」富川盛道編『アフリカ社会の形成と展開』同朋舎出版、173‐225頁
宮本正興 2009 『スワヒリ文学の風土 東アフリカ海岸地方の言語文化誌』第三書館
宮本正興 2019 『スワヒリ詩の伝統とリヨンゴの歌』第三書館
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